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アクション | 歴史 | PS2
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返信数:2 最終更新:2006-09-17 13:03
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実史では、大谷吉継は、大名の中では一番の親友です。
豊臣政権の中でも三成が5奉行筆頭「治部少輔」でしたが
吉継はその下くらいの地位「刑部少輔」でした。
三成が内政で活躍するとすれば、吉継は軍略の達人でした。
三成が諸葛亮なら、吉継は龐統といったところでしょうか。
何故、ここまで親友であったかというと、三成の義の心に
惚れていたのもありますが、実は、吉継はライ病に侵されていたのですが、
この病気体が腐っていくような伝染する病気でした。
ある茶会での出来事・・・吉継の飲んだ茶碗を次に飲む・・
それは病気がうつる可能性があります。
どの大名も飲みませんでした。しかし、三成は何も気にすることなく
飲んだそうです。下手をすると、自分の命にも関わることですが、
これにより、吉継の面子が保たれたのでした。
それを見た吉継は、泣き崩れんくらいに感動し、三成の為ならば、
残り幾ばくかの命投げ出せる。
そこまでの思いがあればこそ、関ケ原では、小早川の寝返りを認知し、
布陣もあえて西軍・・いや三成の盾となる布陣を敷いたと言われています。
実際、西軍優勢であった前半戦でも、陣を進めず、常に小早川に備えていた。
小早川裏切りには、その数十分の一の兵力でこれをかわした。
しかし、赤座・朽木・脇坂など裏切りに合い、無念にも三成の盾は
崩壊したのでした。
しかし、関ケ原の合戦後も、吉継の首は見つからなかったらしいです。