プチ知識8

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久しぶりのプチ知識です。今回は関が原で活躍した小早川秀明のこと
小早川は西軍を裏切り、無事戦国の世の中を生き延びました。
しかし、江戸に入るとすぐに死んでしまいました。
死んだ理由は病死。しかも20代の若さでなくなってしまいます。
とある人は、「西軍を裏切ったから西軍の武将が、秀明に呪いをかけた」と言っています。
※楽しみにしている人もいるみたいなので今後も投稿していきます。
実のところおいらは14です・・・・・・ 

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ユーザーコメント(5件)

 

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小早川秀秋(秀明ではないです)は、元々、気が弱かったのですよね。
だから、関ケ原でも西軍有利にも関わらず、家康の脅しに恐れを成して、
寝返りを行ってしまった。その不義を引きずっていたのか、その後は酒に溺れ、身体を壊し、早死にした。ということのようです。
秀秋は、秀吉の正室(妻)である「ねね」の兄の子であったため、親族の少ない豊臣政権下では、権力争いに担がれ、身もふたも無い謀反の疑いを掛けられそうになった時に、小早川隆景(毛利元就の三男であり、豊臣政権の5大老)の計らいで、小早川家に養子に出ました。
養子に出たとは言え、秀吉の縁者ですから、官位や石高も指折りのものでした。しかし、元々気が弱く、器も小さなものでしたので、周りに良いように利用されてしまったのでしょう。秀秋は、よく裏切り者よばわりさせて、
その後の時代でも嫌われ者になっていますが、彼自身はそんな人ではなかったようですよ。
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結構若くして亡くなっていたとは…戦からは逃げられても、病気からは逃げられなかったといったところですね。。。

それよりも14歳ってことの方が驚きましたw
次の投稿も待ってます^^出来れば主役武将で(特に政宗)
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